「神経症状」に関する事例の判例原文:性格、考え方の不一致による結婚生活の破綻
「神経症状」関する判例の原文を掲載:,精神的な虐待を受け続けてきたのであり,・・・
「夫と妻の性格、考え方の違いにより、夫婦の関係は破綻しているとして離婚を認めた判例」の判例原文:,精神的な虐待を受け続けてきたのであり,・・・
| 原文 | ぞれ1ヶ月金6万円(合計金12万円)の割合による金員を毎月10日限り支払うことを求める。 (4)損害賠償 原告は,平成11年1月23日に被告の暴行により肋骨骨折の傷害を負い,受傷箇所に頑固な神経症状の残る後遺障害が残ったのをはじめ,平成14年3月に首を捕まれて台所に倒される暴行など,多々,被告から暴行行為を受けると共に,婚姻期間中,精神的な虐待を受け続けてきたのであり,これら被告の不法行為に対する慰謝料として金200万円の支払を求めるものである。 2 被告の主張 (1)離婚理由 ア 原告と被告との間の婚姻関係は破綻していない。 (ア)婚姻から平成11年1月24日まで 平成7年12月28日,原告と被告は婚姻し,当時既に被告は山梨に自己のアトリエを構えていたことや,原告自身も畑を手伝ってみたいなどと言っていたことから,被告の現住所において結婚生活をはじめた。原告と被告は毎日基礎体温を測るなどして2人の間に子供が誕生することを心待ちにし,平成8年4月に原告が妊娠してからは,被告は,双子を妊娠中の原告の体調を気遣い,食器洗い,ゴミだし,掃除,食事の支度,買い物など家事全般を献身的に助け,また,原告の体調が安定期に入ると気晴らしをさせるために同年10月,11月には原告を伊豆に旅行に連れて行くなどして,家庭に協力的に生活していた。そして,平成8年○○月○○日に,A及びBが誕生すると,原告は非常に喜び「パパそっくり」などと手紙で友人などに知らせるなどしていた。 A及び次女の誕生後は,被告はミルクの調合,授乳,授乳後のげっぷ,寝かしつけ,オムツ換え,着替え,入浴などを行うなど,積極的に子育てに協力し,子供達が起きたらすぐに世話ができるよう,寝ている子供達の傍らにマイクロフォンを置いて,絵画の制作を行うなど並々ならぬ努力をしていた。このような被告の努力があったからこそ,双子の0歳児の母である原告が,わずか出産から4ヶ月で仕事に復帰できたものであり,原告が東京に仕事に行っている間の全ての子供達の世話は被告が行っていた。 原告及び被告は,お互いに協力し合い,仲睦まじく生活していたからこそ,平成10年6月に原告は第3子を妊娠したものであり,当時原告は妊娠したことを非常に喜び,子を授かったことを周囲の人にすぐさま報告していた。 (イ)平成11年1月24日から平成13年7月まで 平成11年1月24日,原告は子供達を連れて小田原の実家に戻ったが,同年10月頃より,子供達を連れて東京に住むようになった。その間も,同年7月6日に平塚運動公園において家族4人で1日を過ごすなどしていたが,同年10月以降被告が東京に住むようになって以後は,被告は度々原告方に赴くようになり,公園などで家族4人で1日を過ごすことが多くなった。そして,平成12年4月頃よりは,被告は仕事をしていた原告の為に毎週火曜日と金曜日は保育園の送り迎えと子守をし,被告は原告方の鍵を渡されて週3日程度原告方に宿泊し,同年9月頃,被告は原告にノートパソコン及びプリンターを贈り,それらを使って被告と原告及び子供達は離れているときであってもメールや画像を送りあうようになり,再び協力し合って生活を共にするようになった。そして,温泉やスキーなど家族旅行に出かける他,休日毎に公園などで家族で過ごすようになり,夫婦関係は完全に修復していた。 (ウ)平成13年7月より平成14年6月まで 平成13年7月に,家族4人で諏訪湖畔に旅行した際,子供達が肺炎になったことをきっかけとして,原告は東京の家を引き払い,子供達と共に再び被告方において同居するようになった。 (エ)平成14年6月より同年11月まで 平成14年6月頃,原告は東京に家を借りることとし,転居をした。しかし,これは,原告が当面ダンスに打ちこむために,仕事の拠点として借りたものであって,被告も原告のダンスにかける情熱を思いやり,応援して転居を許したものである。事実,前述したように賃貸借契約の締結にあたっては被告の両親が保証人となっており,また,原告方の表札には被告の氏名が表示され,転居当初から被 さらに詳しくみる:告は原告方の鍵を渡され,自由に出入りをし・・・ |
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