「原告に親権」に関する事例の判例原文:互いに相手を思いやれず離婚…
「原告に親権」関する判例の原文を掲載:がら育児をしなければならない状況であった・・・
「夫婦関係を修復する意欲が互いに全くないとして、離婚を認めた判例」の判例原文:がら育児をしなければならない状況であった・・・
| 原文 | 昼勤の場合は,原告が朝子供を保育所に連れて行き,被告が準夜勤の場合は,原告・被告とも子供を迎えに行けないので,友人に預かってもらい,夜原告が友人宅に迎えに行っていた。また,被告が深夜勤の場合で,原告が午後11時ころまでに戻らないときは,被告が子供を寝かせて出勤していた。 (2)長男が昭和61年に生まれた後,このように原告・被告双方が時間を調整しながら育児をしなければならない状況であったので,被告は,原告ができる限り定時に帰宅して育児に協力してくれることを望んでいた。 しかし,原告は,終業時間が遅いのに加えて,セカンドチーフという中堅の役職である立場上,上司や後輩とのつきあいで終業後飲みに行く機会が多く,飲みに行けば帰宅時間が午前2時,3時になり,時には午前4時,5時になってしまうこともあり,その帰宅時間は不整であった。 原告は,初めのころは飲みに行くときは被告に電話を入れていたが,被告は,酒を飲みに行くことがなぜ仕事上の付き合いになるのか理解できず,酒を飲んで深夜に帰宅することを原告が遊んでいるものと決め付け,電話の折,あるいは帰宅してから被告を一方的になじるなどした。他方で原告は,自分の立場上,仕事の付き合いがあることを被告に理解してもらえないことにいらだち,そのたびに口論になり,これを疎ましく思った原告は,昭和62年ころからは,電話をほとんど入れなくなった。 (3)平成2年ころ,原告は,自分の仕事について被告の理解が得られないことに加えて,勤め先の新しい上司と折り合いが悪く,人間関係で悩み,悶々とした毎日に耐えきれず,酒に逃げることも多くなっていた。ただ,原告は,他から借金をしてまで飲むようなことをせず,毎月の給料は被告に封を切らずに渡し,被告からもらう小遣いの中でやりくりしていた。 また,平成4年ころ,原告は,バブル崩壊を機に,勤め先自体の経営が危うくなったことと,いつも自分を遊んでいると決め付ける被告を見返してやろうという思いから,転職して独立することを考え始めた。そのころ,知人が定年退職を機に「×××」というスナックを始めたので,原告は,手伝いのためにこの店に出入りするようになった。原告は,同人の店を手伝いながら独立の足がかりを作ろうという思いと,帰宅してまた被告からなじられるのを疎ましく思うという気持ちから,ますますその帰宅時間は不整になっていった。 (4)原告は,被告に対して,×××に出入りすることにより▲▲▲を退職して自ら独立の店を持つ足がかりにしたいとの話をしたが,被告は,当時の貯蓄は400万円しかなかったことと,子育てのこともあり,原告の話を無謀と考え,取り合わなかった。逆に被告の怒りはエスカレートし,原告が店を手伝った後遅く帰宅すると,被告は,朝まで原告をなじったり,あるいは「あんたなんか出て行きなさいよ。早く出て行って。」等とわめいたりした。また,原告が帰宅したときにドアチェーンが掛けられており,入室できずに,仕方なく知人宅に泊めてもらったり,原告が帰宅したとき,枕あるいは服がズタズタに破られて玄関先に投げ捨てられていることも何回かあった。さらに,被告は,原告が×××に出入りするようになってからますます原告の帰宅が不整になったことに対し,原告に女ができたものと思いこみ,原告の職場や×××に何回も電話を掛けたりした。原告は,これらを被告からの嫌がらせであると考えた。 (5)平成5年3月ころ,原告と被告は,顔を合わせる都度にけんかをするようになり,原告は,家に帰らないで知人宅に泊めてもらうことが多くなっていた。 そのころ,原告が家から荷物を持ち出す際に,原告と被告がけんかになり,被告がけんかに際して台所から包丁を持ち出すことがあった。原告は,これをきっかけに離婚を決意し,同年4月以降,自宅を出て知人宅に寝泊まりするようになり,原告は,着替え等の荷物を取りに週1,2度自宅に寄るだけになった。 (6)原告は,同年8月末日をもって▲▲▲を退職し,×××を手伝う傍ら,同年10月から警備(□□□)のアルバイトを始めた。原告は,同年8月までは給料を被告に渡していたが,その後は東京都北区東十条に自分で部屋を借りたことから出費がかさみ,収入が減少したことから,同年9月に一時金として9万円を被告に渡し,その後は月に5万円を被告に渡すことにした。 (7)同年11月14日,原告・被告に加え, さらに詳しくみる:両者の両親等親族が集まって話し合いをし,・・・ |
|---|
