離婚法律相談データバンク ガラスに関する離婚問題「ガラス」の離婚事例:「夫の暴力などによる結婚生活の破綻」 ガラスに関する離婚問題の判例

ガラス」に関する事例の判例原文:夫の暴力などによる結婚生活の破綻

ガラス」関する判例の原文を掲載:「家を出て行った子に仕送りをするな」など・・・

「結婚生活が破綻し、もはや回復が出来ないとして、離婚の請求を認めた判例」の判例原文:「家を出て行った子に仕送りをするな」など・・・

原文 額3万円程度の生活費を渡すだけなので,原告は足りない分をパート収入で補った。
 他方,長女は,平成14年2月に関西大学に合格した。父親の元を離れたいということで関西方面の大学を選んだのである。被告が大学進学費用を一切出さなかったため,原告の母がこれを立て替えた。
 原告は,週7日働いて,長女の生活費・学費を仕送りせざるを得なかったところ,平成14年4月6日,被告は,「家を出て行った子に仕送りをするな」などと腹を立てて原告に暴行を働き,原告は,同年5月3日,再び社宅を出て被告と別居することになった。
 4 離婚給付
 原告は,長年に亘る被告の暴力行為等により言い知れない苦痛を受けてきたから,前記の誓約書の条項にも照らし,慰謝料として金1000万円の支払を求める。
 原告は,満足のいく生活費を渡してもらえなかったので,足りない分をパート収入で補ってきた。他方,被告は,杉並区(以下略)所在のマンション(家屋番号・(以下略),以下「本件マンション」という。)を所有している。そこで,財産分与として金500万円の支払を求める。
(被告の認否・主張)
 1 原告の主張に対する認否等
 (1)昭和60年7月2日ころからの別居に至る経緯等について
  (イ)結婚後の半年間に限定したうえで,生活費について「毎月数回に分けて2~5万円程度を渡すことが続いた」ことは認める。
 結婚当時の年収は415万円であり,毎日遅くまで残業していても,月給の手取額は12~14万円程度に過ぎなかった。そのため,そもそも結婚前から毎月赤字を出して賞与で埋める生活だった。結婚は就職2年目であり,蓄えはできていなかった。新婚旅行に出掛ける金もなかったが,原告の希望もあり,結局,その費用をJCBカードによる借金でまかなった。毎月5万円位の返済であり,その支払をすると生活費が足りなくなるので,また借金をするという自転車操業となった。これらの借金は6月の賞与でやっと返済できた。前記のように数回に分けて生活費を渡さざるを得なくなったのは,このような当時の経済状態により余儀なくされたものであり,「健全な生活設計への自覚を著しく欠き」との主張は失当である。一方,原告は,被告の経済状態を承知していたにも拘わらず,お嬢様育ちなので被告と一緒にやり繰りの算段をするどころか,一方的に自己の権利を強調し,原告及び被告の両親にお金をもらえないと告げ口するのが常だった。
 被告の職務は競争の激しい損害保険会社の営業であり,担当する代理店や取引先と飲みに行かなければ仕事にならず,多忙のため土曜も日曜もなかった。それでも被告を励ましたのは原告と長女の存在である。長女は夜泣きが激しく,被告も原告に協力して毎晩,長女をあやして眠らせた。また,日曜日には家族で食事に出掛け,家族の礎を築こうと努力した。「毎夜のこと外での飲酒に耽り」との主張も失当である。
 自家用自動車2台のうち1台は結婚して長女が生まれた年に亡祖母に買ってもらったもので愛着があるので,今でも大切にしているが,お金はかけていない。もう1台(日産パルサー,次いで,いすずジェミニ)は普段使用するものであり,会社の同僚と比較しても,世間並みか,それ以下である。
  (ロ)火傷は,夫婦喧嘩で揉み合ったときに原告がガス台に当たり,鍋が倒れて湯がかかったのである。物をガラスに投げ付けて割ったこともあるが,ありふれた夫婦喧嘩の範疇の出来事である。「ほとんど毎月1回以上」の暴行があったならば,お嬢様育ちの原告が被告と暮らしているはずもない。
 原告と被告は,結婚と夫婦に対する考え方が根本的に異なっている。被告は,結婚はまず経済的な自立を前提とするものであり,夫婦は信頼関係に基づいて一心同体として苦楽を共にするユニットであると考えている。しかし,原告は個人主義が極めて強く,夫婦として苦楽を共にするという意識を持ち合わせず,夫婦といえども相手とは一定の距離をとり,自分の都合の悪いことは一切夫に話さない。また,親の過保護を当然のごとく受け入れる。そのため,得てして親の言いなりになることが多く,結婚前から原告と被告は揉めることがあった。
  (ハ)原告は,気に入らないことがあるとすぐに実家に電話し,原告の母が被告の実家に抗議するのが常であった。また,原告の母は,被告の了解もなしに,勝手に馴染みの業者に入居予定の社宅を修理させるような人物である。
 昭和58年10月に被告の父が肺癌で入院し,結局,手術もできないまま,昭和59年1月に死亡した。長女は初孫であったので,最後に孫の顔を見せようと,原告に一緒に岡山に行ってくれるようお願いし,その了承を得ていた。ところが,原告の母は,小さな子供を連れて岡山の病院に行く必要がないと主張し,被告の妹が失礼な口の利き方をしたという訳の分からない理由もあって,原告は,長女を連れて実家に帰った。焦って原告の実家に行くと,家を閉め切って中に入れてくれないので,被告は,やむを得ず,玄関のガラスを割って入ろうとしたが果たせなかった。結局,父の意識があるうちに孫の顔を見せることができなかった。原告は「些細なことから原告の両親に反   さらに詳しくみる:感を抱くようになり」というが,以上の事実・・・