離婚法律相談データバンク世田谷 に関する離婚問題事例

世田谷に関する離婚事例

世田谷」に関する離婚判例・離婚事例要約をはじめ、「世田谷」関連の離婚調停に関する離婚判例のご紹介

「夫と妻のお互いの離婚の請求と妻への財産分与を認めたが、お互いの慰謝料請求を認めなかった判例」

キーポイント 離婚が認められるためには、結婚生活をこれ以上継続することが出来ない重大な事由が当事者の間になければなりません。
当判例は、夫と妻の間に結婚生活が続けられない溝があること、そしてその責任の所在の判断がキーポイントとなっています。
事例要約 この裁判を起こしたのは、夫(原告)であり、裁判を起こされたのは、その妻(被告)です。

1 結婚
外国人である夫は、日本人である妻と平成5年5月25日に婚姻の届出をし、夫婦となりました。
また妻には、前夫との間に子供の太郎(仮名)がいますが、夫と太郎とは養親縁組はしていません。
2 結婚生活の破綻
妻は、結婚後数年経ったときに、夫が妻に触れることを嫌がり、結婚生活に溝が入るようになりました。
また平成9年には、夫と妻が口論になった際に、妻が夫に暴力を振るうようになりました。
3 夫が当判例の裁判を起こす
夫は、妻との結婚生活を続けることが出来ないとして、平成14年9月24日に家を出て、別居しました。
そして夫は、平成15年1月30日に東京家庭裁判所に離婚調停の申し立てをしましたが、離婚条件で妻と折り合わず、同年5月8日不成立となりました。
これを受けて夫は、同年に当裁判を起こしました。
また妻は夫を相手として、離婚請求の他、慰謝料の支払いや財産分与請求を求める反訴を起こしました。

「長期間別居している夫婦につき、離婚請求が認められなかった判例」

キーポイント 離婚が認められるためには、結婚生活をこれ以上継続することが出来ない重大な事由が当事者の間になければなりません。
当判例は、離婚を認めるにあたり、長期間別居をしている点とそれまでの結婚生活が完全に破綻していたかどうかの判断が、キーポイントとなっています。
事例要約 この裁判を起こしたのは、妻(原告)であり、裁判を起こされたのは、その夫(被告)です。

1 結婚
当事件の当事者である妻は、夫と昭和57年6月24日に婚姻の届出をし、夫婦となりました。
妻と夫との間には、昭和58年に長女の花子(仮名)が誕生しています。
2 妻の別居
夫は妻に対し、昭和57年から平成14年までに日常的に怒鳴ったり、物を投げつけたりするなど、威圧的な態度を取ることがありました。
妻は、これに怯えながら生活をし、また自殺をしようとまで考え、日常生活の中で夫と会話をすることがほとんどありませんでした。
そして妻は、平成14年8月に夫との同居は無理と考え、自宅を出て夫と別居をし始めました。
3 再び妻の別居
夫は、妻に謝罪をし、平成14年9月から再び妻と同居をし始めました。
ところが妻は、同年10月12日に夫が当時大学生だった花子に粗暴なしつけをしているのに怯え、同年同月18日に再び自宅を出て別居し、現在に至っています。
4 妻が当判例の裁判を起こす
妻は、平成14年11月22日に東京家庭裁判所に離婚調停の申し立てをしましたが、平成15年2月25日に不成立に終わりました。
これを受けて、妻は平成15年5月26日に当裁判を起こしました。

「客観的にみて婚姻関係はまだ破綻しているとはいえないとして、離婚請求が認められなかった判例。」

キーポイント 離婚請求が認められるには、客観的にみても、婚姻関係を続けがたい重大な理由が必要です。この裁判は、「客観的に」みたら夫婦関係はどのような現状なのか、がポイントとなります。
事例要約 この裁判を起こしたのは夫(原告)で、裁判を起こされたのは妻(被告)です。
1 出産・結婚
夫と妻は結婚する前から親しい関係にあり、妻は昭和55年に長女の明美(仮名)を出産しました。そして。昭和58年7月13日に結婚して、夫婦となりました。
2 夫婦関係
妻が二人目の子供を流産した頃から、夫と妻の夫婦関係は微妙なズレを見せ始めました。
平成元年ころに妻は夫に対して署名、押印した離婚届けを差し出しました。夫は離婚することに異論はありませんでしたが、高齢の両親に心配を掛けたくなかったこと、明美がまだ幼いこと、離婚はサラリーマンとしてはプラスではないことなどの理由から、離婚を実行に移しませんでした。
平成7年頃までは、家族と夫の養父母と共にホテルで年始を過ごすことを恒例としていました。平成7年以降は夫の養父母のところで年始を過ごしていました。
3 妻のことに関して
妻は夫と結婚して依頼平成14年頃まで専業主婦でした。
夫の食事の用意や洗濯、身の回りの世話は不足なくやっていて、夫もこれを嫌がったりすることはありませんでした。
妻は夫との離婚を2~3度口にすることはありましたが、明美の親権者や、お金の面まで話を発展させたことはなく、また、離婚後の生活について仕事を探すなど具体的な行動をとったことはありませんでした。
4 夫の養父シゲオ(仮名)の死
シゲオが亡くなった後、夫は単身赴任になりました。
5 夫の離婚請求
妻は、シゲオが亡くなったら、離婚したいと夫に告げていました。
夫はシゲオの七十七法要と納骨を済ませた直後の、平成14年6月末ころに妻に対して離婚を切り出しました。
平成14年10月11日に東京家庭裁判所に離婚調停を申し立てましたが、妻が夫に対して高額な金銭面の条件を提示したことから、話し合いが整わずに終わりました。
6 夫の態度
夫は平成14年7月ころから、妻から身の回りの世話を受けることを拒否して、妻と口をきかなくなりました。
夫は平成15年3月21日から、一人で引越し、妻とは別居状態になりました。
夫は養母のマンションに一応引っ越しましたが、サトコ(仮名)の家で寝泊りして通勤もしています。サトコとは共同賃貸人として部屋を借りていて、近所への引越しの挨拶の際にも夫はサトコと共に訪れたりもしました。

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